さっそくですが、皆さん、このポスターご存知ですか??
すっごくかわいらしくて魅力のあるポスターですよね ✨✨
実はこれ、「商店街ポスター展」という作品展のポスターなのですが、
全部でなんと100枚以上あるそうです。
それでは、これらのポスターがどのようにして誕生したのか紹介しますね( *´艸`)
すべての始まりは「セルフ祭」だった
商店街ポスター展とは、商店街各店舗のポスターを電通の若手スタッフがボランティアで制作し、それをアーケード中に展示するもの。
電通関西支社のプロジェクトとしてテレビやネットで話題になったが、もともとは会社とは関係のないところから始まったものだった(ちなみに、「新世界市場ポスター展」だけでも、のちに新聞21件・テレビ6番組・そのほか雑誌・ラジオなども多数の掲載があり、広告換算で1億円近いパブリシティ効果があった)
画家・異空間演出家のコタケマンという人間が2012年5月に大阪で「セルフ祭」というのをはじめたのがきっかけである。彼が様々な人間に声をかけ、新世界市場という約半数の店のシャッターが下りてしまった商店街をアホで奇妙なアートやパフォーマンスで埋め尽くした。アートイベントというと、なんだかおしゃれな感じがしないではないが、そうではない。奇祭という方が正しい。
ぼくはプライベートで写真家として活動しており、写真を展示してくれと、セルフ祭に引きずり込まれたのであった。通天閣100周年ということで、寝ている人の写真を100枚展示した。しかもつぶれたカメラ屋さんの前で展示をするという皮肉。商店街のいたるところは作品で埋め尽くされ、様々な音楽が聞こえ、新聞や雑誌にも取り上げられ、人がたくさん来て、それはそれは賑やかだった。非常によいイベントだったように思
イベントだけでは新世界市場の売上は伸びなかった
しかしながら、イベントが終わったら元の寂しい商店街に戻ってしまった。イベントで売上が伸びたかというとまったく伸びてない。若い人と商店主の交流もなかった。
2回目のセルフ祭(2012年7月)が2カ月後に迫っていた。「このままじゃあかん」とセルフ祭の5人のメンバーたちが考えを改めた。
ぼくも2回目からは中心メンバーとなり、あれやこれやと企画に参画した。もちろん、ただ楽しいイベントでもよかっただろう。ただ、メンバー全員でやるからには社会に意味のあるものをと考えていた。東日本大震災直後の年、みんなが何か新しい価値を作り出さなければともがいていた。ぼく含めみんなそれぞれできることをしていった。
まずは、セルフ祭の事務所として借りていたところに3人が住み込んだ。それぞれ、気仙沼、北海道、東京と東日本大震災以降に移住してきた者たちが商店街を掃除したり、配達を手伝ったり、雨漏りを直したり、商店街の便利屋のように働いた。ぼくは会社があるので、なかなかみんなと一緒に行動できなかった。
自分なりにできることないかと考えていたら「お店のポスターをつくる」ということを思いついた。職業はコピーライター、なのでポスターを制作するのはお手の物である。ただ、20店舗ほどあるから、全部自分でつくるのは大変である。だから、会社の若い子に手伝ってもらおう、ちょうど、若い子の教育も担当していて「これは研修にもちょうどいい!」とひらめいた。
もちろん、商店街からお金なんかもらえるわけない。必然とボランティアになるわけで、会社に相談したら「おもろいやん!勉強になるしええよ」ってことであっさりOKが出た。これでオフィシャルに若手を誘うことができる。しかし、これはボランティアで給料も出ないから、押しつけることはできなない。なので、人が集まるか不安だった。みんなに「やる?」とおそるおそる尋ねると、ほとんどの若手が「やります!」と手を挙げてくれた。
「もったいなくて貼られへん」「家宝にするわ」の声