ネット断ちをして良かったこと、悪かったこと
インターネットを生活から切り離してみると、素晴らしい自由を感じました。
インターネットをやめると同時に携帯電話でメールを送ることもやめました。
完全にネットの世界から自分を隔離すると、強い幸福感と高揚感がありました。
香るものすべてがよい匂いに感じスキップしたくなるような感じです。
例えるなら15歳の少年が
「僕をコントロールすることなんて誰にもできないのさ!
僕の人生は僕だけのもの。自分で自分の道を決めるんだ!」
というような感じです。
そして今までに感じたことのない大きな退屈を感じました。
インターネットがあれば、少し退屈だな、と思ったら
すぐにネットにアクセスして膨大な情報量の中で遊ぶことができます。
私はそれまであのような退屈感を味わったことがありませんでした。
クリエイティブな人たちがよく言っていますよね、
退屈な時間は瞑想的でクリエイティブなことを考える隙間を与えると。
私はそれに加えて、退屈な時間は自分が本当は何をやりたいのか考える時間であるとも思いました。
そしてネットをやめると、人との関わり方が変わりました。
多くの場で語られていますよね、Facebookは果たして人々の繋がりを真の意味で深めたのか、
簡単に「友達」と言うようになってしまったのか、と。
私がネットをやめて分かったことは、実際に人と関わると、
その関わりはネットよりもより直接的な強い関わりになり、
人からも「なんだかすごく激しいあなたを見ました」と言われましたし、
電話上でのやり取りですら人からキツい人だと怖がられたりしました。
今ここでチェックインするのを忘れたか、
見落としたメールはないだろうかと頭の中で考えることがなくなったので、
目の前にいる人と真に関係を築くことができるようになったと感じました。
私の妹は私が心に余裕ができた、と言っていました。
長く付き合っている友人たちともネットから離れたおかげで、
それまでよりも深く関わることができるようになったのです。
これを私は非常にありがたく思っています。
もちろんマイナスのこともあります。
退屈な時間はそれを有効活用できれば最高の時間となります。
しかし、退屈だからといってゲームをしてしまってはダメですよね(笑)。
そう、まさに私はそれをしてしまったのです。
退屈しのぎにゲームをすることに時間を費やしてしまいました。
ネットをやめる前はそれほどゲームはしなかったのですが、
退屈であるという恐怖に打ち勝つために、
すぐそばにあるコントローラを手に取りゲームに夢中になってしまいました。
皆さんにはお伝えできないほど膨大な時間を無駄にしてしまいました(笑)。
ネットから離れた1年の人々との関わりについてですが、
彼らと実際に会って関わると、
そこでのやり取りは非常に個人的な強い繋がりを感じるものであるのですが、
外に出かける機会が減りました。
社会的なつながりから離れてしまった、人々と連絡を取ることが難しくなったのです。
家族も国内様々な場所に住んでいますから。
しかし同じ街に住む人々とすら、メールもしない、Facebookのイベント招待もチェックしない、
あの話題の映画が今週末から公開だったことを忘れていた、という具合に始まり、
情報がどんどん入ってこなくなる、人々からどんどん離れていくという状態になりました。
ネットから自分を離してすぐの時は、寂しさからどんどん外に出て人と会い、
人に電話したりしていました。ところで多くの人は電話がかかってくるのを嫌いますね(笑)。
メールにしてくれという人が多いです、特に何か集まりを計画しようという時には。
さておき、電話をかけてみる、今日は出かけたくないと断られる、時間が遅すぎる、
ということが続くと寂しさが蓄積されていき、逆に1人で閉じこもっていたくなったものです。