「フィーリングプア」に陥る子どもが増えている

同業の塾講師や中学高校の教員と話をしていると、多くの人が「最近の子どもたちは、表情から心情を読み取りづらくなった」とこぼす。もちろん、わたしにも思い当たる節がある。

子どもたちの表情は、わたしたち指導者にとって非常に重要な要素だ。表情を観察しながら、解説する内容の「濃淡」を使い分けたり、同じ内容をあえて繰り返したりと、授業の進め方を変えていくからだ。

ところが、最近の子どもたちは、表情を見るだけでは、実際に授業内容を理解しているのかどうかがわかりづらい。昔は同じように黙って聞いていても、ちょっとした顔の表情や目の動きなどで「この子は理解できているな」と判断することができた。今はシグナルが乏しくそうした判断が極めて難しい。こうした表情の乏しい状態を、『13歳からのことば事典』(メイツ出版)を上梓した以降、私は「フィーリングプア」と呼んでいる。

▼語彙力の低下がフィーリングプアを招く可能性

なぜ子どもたちの表情が乏しくなっているのか。わたしは「語彙力の低下」がフィーリングプアを招く一因になっているのではないかとにらんでいる。

ここ最近とみに子どもたちが口にする感情表現のバリエーションが少なくなっているように感じる。ことばは人が感情を表す重要な手段のひとつだ。だからこそ、手持ちの感情表現が豊富なほど、表情として表出される感情も豊かになるのではないだろうか。

たとえば負の感情について、「ムカつく」という表現しか知らない子どもは、キレてしまうことも多いのではないか。読者の皆さんの周囲にも、「キモい」「ウザい」「ヤバい」「ムカつく」……といった「決まり文句」を吐き捨てるように連呼する子どもはいないだろうか。いや、子どもに限らない。大人でも、このようなワンフレーズを連呼する人は、どんな人だろうか。
何でも「ウザい」で片付けてしまう人々
たとえば、「ウザい」。このことばにはそのときの状況や気持ちの細かな差異によって、その「近似値」となるいろいろな心情語が存在する。「いまいましい」「鬱陶しい」「うんざりする」「げんなりする」「小憎たらしい」「癪に障る」「鼻につく」「不快だ」「迷惑だ」「わずらわしい」などである。

次の例文を見てみよう。

例A:トイレの壁に貼ってある日本地図、ウザいから外していい?
例B:「家に帰るまでが修学旅行です」なんて、校長先生がまた同じ話をしたのでウザい。
例C:弟は、年下のくせに姉の私に生意気な口を利くのでウザい。

A、B、Cにはどれも「ウザい」という表現が使われているが、それぞれの気持ちが異なる。この場合、Aは「鬱陶しい」、Bは「うんざりする」、Cは「小憎たらしい」などの心情表現がぴったりくる。

すなわち、なんでもかんでもマイナス表現を「ウザい」と発することで済ませてしまうと、そのときどきの微細な心情を自覚できなくなってしまう。わたしはこのことがフィーリングプアにつながるのではないかと考えている。