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吉田松陰の言葉『諸君、狂いたまえ!!』

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こんにちは😀

山口市・宇部市の学習塾『かわしま進学塾 宮野校』のヒゲです😁

 

最近、中学2年生向けの歴史の授業で『吉田松陰』について教える機会があったのですが、

その吉田松陰の名言・・・いや迷言

『諸君、狂いたまえ!!』

 

 

吉田松陰について簡単ながら紹介すると

 

9歳の頃、明倫館で兵学を『教える』ようになります。

教わるではなくて、何と9歳にして教える側の立場なのです!!

 

そして11歳の頃、長州藩藩主である毛利のお殿様の前で講義を行い、大成功をおさめます。

もはやマンガのキャラみたいなエピソードです、ちょっと神童すぎます😆

同じころ叔父の作った『松下村塾』で吉田松陰が学び始めます。

実は松陰は村下村塾の創始者ではなかったんですね🤔

 

で、大人になり

22歳の頃、通行手形の許可がおりるのが遅くなったことに痺れをきらした松陰は

長州藩を脱藩し、

23歳の頃、ペリーの黒船に震え上がった松陰は、

長崎に来ていたロシアの軍艦に乗り込もうとしたり、

再度やってきたペリーの黒船に小舟で近づき乗り込もうとしたりします😣

 

もちろん、このことによって松陰は投獄されてしまいます。

 

25歳の頃、牢から出されますが、実家で蟄居(=家から出ちゃダメ)となり、

27歳の頃、家から出られないので、家で松下村塾を引き継ぐ形で開塾

 

意外と松陰は20代後半と若いんですね。同じ20代の若者たちを教育していくのですが、

教えるというよりも共に意見を交わし一緒に学ぶというスタイルでありました。

 

28歳の頃、日米修好通商条約に激怒した松陰は、老中の暗殺を画策し、

さらにそれに使う武器を長州藩から出させようしました。

 

さすがに塾生も松陰を止めようとするのですが、

逆に松陰は『狂ってないお前たちと議論する気にもならん!!』と言い放ち、

長州藩から危険人物と見なされた松陰は、長州藩によって投獄されてしまいます。

 

そして29歳、老中暗殺計画などの罪に問われた結果、安政の大獄となり、死罪

 

 

 

 

松陰の残した「諸君!狂いたまえ!」は

「常識に惑わされず、自分の信じる道を進め!」という意味

 

松陰の行動や、言葉は数多くの幕末の志士たちに大きな影響を与えることとなります。

 

ということで、ホントはこのあたりのことを細かく授業でやりたっかたのですが、

如何せん学年末テストが近づいているので

松陰に関してはテスト範囲の『安政の大獄』と『長州藩の偉大な指導者であった』という

ごく短い言葉であいか伝えることができなかったので、

 

このブログの場を借りて紹介させていただきました。

 

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