日本人である以上、母国語である『国語』に接する場面は、もはや日常のことです。
しかし、文章の”読み取り方”や、”書き方”をきちんと訓練しておくことは、将来極めて大きい見返りがあると断言できます。
そして何より、『国語』の力というものは、その他の4科目(英数理社)全てに通じる土台なのです。
やや説明が抽象的になりましたので、それらについて具体的に述べていきましょう。
まず、【読み】について。
僕は『主張を読み取り、正しく掴む』訓練をきちんと積んでおくことで、『スキルを身に着けるスキル』を得られると考えています。
例えば、将来の仕事によっては、国家資格試験などに挑戦する場面も出てきます。
それの対策をするためには、講座を取る、参考書を読むなど、色々な方法が考えられます。
しかし、『主張(≒言いたいこと)を正しく理解する経験』が不十分だと、素晴らしい講義も、適切な説明も、全ては頭を素通りしてしまいます。
逆に言えば、要点さえ理解する力があれば、『人より早く無駄なくスキルを習得できる』と言えます。
極論、どんなテーマであれ、それに関する本も記事もあちこちに転がっているものです。
情報化社会が進み、種々雑多なデータがありふれているからこそ、それらを正しく読み取り理解する力はもはや『必須』だと言えます。
普段読んで解いている説明文も、小説も、巡り巡ってそこに繋がると考えれば、多少は不毛な気持ちも和らぐのではないでしょうか。
(ちなみに僕は小説を『読解する』意味は、『他者の人生を疑似体験し、数多の価値観を知ること』だと考えていマス。)
次に、【書き】について。
手書きやタイピングの違いこそありますが、やはり『文章を書く場面』というのは、高校でも大学でも社会においても極めて多いです。
場面にあった書き方や、そもそもの文法を知らないと、損をするというより『恥をかく』というのが僕の考えです。
例えば、以下の文の違和感、何かお分かりでしょうか。
「僕の将来の夢は、メジャーで野球をする。」
「僕がこのグラフを読んで思ったことは、朝ご飯をきちんと食べることによって、学習の成績が上がります。」
余談ですが、この2つは両方、僕が見た生徒の答案にあったものです。
何がおかしく、どこをどうすれば良いのでしょう?
細かい説明は省きますが、前者なら『僕の将来の夢は、メジャーで野球をする”ことだ”。』の方が適切です。
後者であれば、「僕がこのグラフを読んで思ったことは、朝ご飯をきちんと食べることによって、学習の成績が上が”るということです”。」の方がまだ自然です。(ちなみに、5年や6年の国語で登場しますよ)
人生において、大切な文章を自分で書く場面は何度も巡ってきます。
入試における作文、小論文、大学の卒業論文、履歴書、企画書等々・・・。
そういった場面で『恥をかく』ことが無いようにするためには、実は学校で教わっていることを意識すればまず大丈夫です。
「近くの山を登山していたら、観光客向けの馬がいて、それに乗馬したら、その馬から落馬してしまい、骨を骨折して、今は頭痛が痛い!」
―といったもはや言葉の出ない文章を書くことも、日頃の学習を活かすことで防げます。
ということで、学校で教わり試験で問われる『読み』も『書き』も、決して無駄ではないと僕は強く感じています。
そのことが伝わっていれば幸いです・・。
では次に、先ほど書いた、【『国語』の力は、英数理社全てに通じる土台】という理由について説明します。