それは小学校の算数の授業でパターンとしてこれらを解決することに慣れすぎているからです。
足し算のコーナーで出てくる文章問題は足し算を、かけ算のコーナーで出てくる文章問題はかけ算を・・・という感じですね。またはその逆算で足し算のコーナーで引き算を、かけ算のコーナーで割り算を・・・ってパターンもあります。
ただこれらの垣根が取っ払われた場面で問題を解くとき、彼らのパターンが崩壊してしまい問題文の数字を使って『ノリ』でといてしまう・・・なので、鉛筆1本の値段を12000円と答えてしまったり、人の走る速さを時速3000㎞と答えてしまったりします。
こういう誤った答えを出してしまったときに、『鉛筆1本12000円ってどんな材質でできてるの!?超高級鉛筆やん!!』とか『人の走る速さ時速3000㎞!?新幹線の10倍よりもっと早いよ!!』というツッコミを入れてあげると彼らの多くは問題点に自ら気づいてくれます。
『なんでコレ分からんの?こんなの○○算やん!!』と頭ごなしに言っても何の解決にもなりません。もっと算数の文章問題が嫌いになってしまうだけです。
重要なことはどんなに低いハードルでも構わないので何が間違っているのかを気づかせてあげること。そしてそのハードルの高さの設定をいかにその子に合ったモノを準備してあげられるかどうかが、この問題解決の糸口だと思います。
ただ我々大人もこういう勘違いって多々やっていることなんじゃないかなぁとも思います。
新聞の見出しの単語のいくつかに目を通しただけで記事によく目を通さずに理解した気になっていたり、テレビから聞こえてくる単語でけでニュースを理解した気になったり、『自民』『共産』『中国』『韓国』『沖縄』『安倍』・・・といった単語だけ見て、いちいち内容まで読まずに反射的に『理解した』と思っている人って、けっこういるんじゃないのかなぁ。
少なくともボクは『36』や『時速3200㎞』と答える小学生を笑えない・・・
彼らと一緒に成長していこうとする姿勢にこそ教育の本質があると思っています。