『ガンジス川のほとりで集合でしましょう!』
タクさんからのお誘いで
初のインドへの旅が実現しました。
高岡くんとクアラルンプールで合流し
、ニューデリーへ飛びました。
まずは、はじめの難関はビザの取得。
日本は世界中で唯一、インドに入国
するときにアライバルビザを取得
できます。
空港で書類を渡すこと簡易的にビザ
を手に入れることができます。
日本ってすごい国です。
いつものようにイミグレを通らず、
奥のフロアへ。
そこで事前にコピーしてきた
申告書とパスポートを渡して
2000ルピーを支払うだけです。
まったく混んでなかったので30分も
かからずビザを手に入れることが
できました。
イミグレを通る必要がないので並ぶ
必要もなく入国です。
空港の中でUBERを予約。
外に出ると車と人で溢れていました。
空港は一度外に出たら再入場できない
ようです。
ガードマンが厳しく立ちはだかって
いました。
UBERは時間がかかりましたが、
ちゃんと使えました。
運転はとても荒いです。
クラクションがそこら中で
鳴り響いています。
無事にホテルに到着して寝ました。
二日目、ニューデリー観光。
UBERを呼んだが
いきなりガソスタへ。
燃えるかもしれないから
外にでろと言われた。
こっちはガソリンではなくガス。
1リットル40ルピーらしい。
まちは大渋滞。
クラクションが常に鳴り響く。
不安・・・。
高岡くんが調べてくれた
寺院に行きました。
日本人も中国人も韓国人も
ほとんどいません。
観光に来て、こんなことは
久しぶりです。
とても素敵な寺院でした。
そのあと、地元の
マーケットに行きました。
飛び交うハエ。
キツイ匂い。
活気にあふれたマーケット。
日本も数十年前は
こんな感じだったのだろうか。
ルーフトップのレストラン。
そんな勢い溢れる街を
見下ろす素敵な景色。
カレーはやっぱり美味かった。
帰りは大渋滞。
クラクションと軽い接触は
当たり前のようです。
駅へ。
人で溢れかえっていて
圧倒された。
この人口が力になる。
寝台列車は日本でネットで
予約しました。
ホテルまで迎えに来てくれ
寝台列車の中のベッドまで
案内してくれました。
これを自分たちでやるのは
無理でした。
寝台列車は、二段ベッドが
二つの部屋をカーテンで
仕切っています。
男性、女性関係なく
配置されています。
日本ならあり得ないです。
エアコン、それぞれにライト、
二段ベッドごとにコンセント
はあります。
トイレは汚いですがあります。
食事などは、おじさんが
売りに来ます。
カレーで150ルピーでした。
悪くないです。
早めに就寝しました。
4時ぐらいに目覚めましたが
ネットの環境がなく、
真横にいる知らないおじさんの
いびきで眠れませんでした。
朝6時ぐらいから
みんな目覚め出しました。
7時にバラナシに到着予定。
6時50分ぐらいに汽車が止まった。
誰も動かない。
ここじゃないの?
ソワソワ。
恐る恐るまわりの人に聞いた。
2時間遅れてるよ。
3人に聞いたら3人が同じことを言う。
なんでそれを、知ってるの?
って聞いたら、
アプリに書いてある。
って教えてくれた。
辛い時間が2時間伸びた。
wifiを調べたら無料のwifiがある。
でも、現地の電話番号がないと
ログインできない。
やはり、空港でSIMカードを
購入しておくべきだった。
高岡くんは優雅にドラクエをしている。
9時になっても着かない。
隣の女性がアプリを見せてくれた。
Manduadih駅は終点らしい。
ほっとしたが10時過ぎるらしい。
みんな当たり前のように
寝ている。
高岡くんはずっとドラクエをしている。
不安・・・
汽車は10時過ぎに到着した。
遅れること3時間。
まわりは平然としているので
日常茶飯事のようだ。
事前の調査では、
バラナシにはUBERはなく
タクシーもあまり走っていない。
オートリキシャなるトゥクトゥクの
ようなものが走っているが
ぼったくりが多いと書いてあった。
事前にホテルに連絡して
タクシーを手配していた。
名前の書いてある紙をかかげ
駅で待ってくれていることを
期待したが、
そんな人はいない。
7時着の列車が3時間遅れた。
メッセージは送ったが不安。
周りの人はほとんどいなくなった。
オートリキシャの勧誘がしつこい。
駅のゲートは大渋滞。
クラクションがずっと鳴っている。
二度、ホテルに電話した。
なにを言ってるか半分は
わからない。
でも、最後に、
I wait here.
I wait near the gate.
って念を押した。
30分ぐらいでドライバーが来た。
とても不安で、
すごく長く感じた。
車に乗ってホテルに向かった。
鳴り止まないクラクション。
舗装されていない道路。
道路は車で溢れて
道の脇には牛がいっぱい。
ゴミをあさったり
寝そべったり。
いつの間にか、
その光景に慣れてしまったが
今、考えるとあり得ない光景。
ゴチャゴチャした街を抜け、
船着場に着いた。
ガンジス川だ。
ホテルには船に乗って向かった。
船着場では女の子が
洗濯をしていた。
洗濯を終え、泳いで船に寄ってきた。
Give me money.
アジア諸国でよく話しかけられる
言葉だが、答えはわからない。
ガンジス川には、
洗濯している人、
泳いでいる人、
体を石鹸で洗っている人、
死んで川に浮かぶ牛を
ホースで水をぶつけ、
岸から離している人。
いろいろな人がいる。
火葬場があった。
死体が24時間燃やされて
いるらしい。
この煙は人が燃えている煙。
インドの人たちは、
死んだらガンジス川に流して欲しい。
だから、全土から死体が集まる。
圧倒されて意味がわからない。
岸辺の景色はとっても素敵だった。
船を降り、
ホテルに着いた。
宿泊したホテルは
もともとは、パレス。
それを数年前に
改装して作られたもの。
部屋は狭いが
とても趣がある。
何よりもホテルを出ると
目の前にガンジス川がある。
高岡と2人でランチに出かけた。
横道を入れば、
そこは現地の普通の生活。
ハエが飛び交い、
人と犬と牛が溢れている。
牛の糞を踏まないように
注意して歩いていると
まわりの風景が入ってこない。
大通りに出ると
オートリキシャとクラクション。
悪臭と糞とクラクション。
外を歩くことがストレスに感じた。
食事はすべて
チキンカレーとマトンカレーと
タンドリーチキンを注文した。
とても美味しい。
カレー大好き人間としては
本場のカレーを食べれたのは
とても嬉しい。
ランチを終え、ホテルで
休んでいるとタクさんから
連絡があった。
集合場所も把握せずに
なんとかなるだろうと
参加したこの企画。
どうやら、事前に集合時間と
集合場所は決まっていたらしい。
16時に給水塔に集合!
集合場所に行くと、
タクさんとスタッフ、
そして香川から来られた
塾の先生たちが待っていた。
みんなに会えた!
集合に遅れたことを謝って
なんとか合流。
みんなで食事をして、
近くのお店に行って
ホテルに帰った。
いろいろトラブルはあったが
ガンジス川のほとりで集合の
目的は達成した。
次の日は、
朝、5時半集合。
船をチャーターして
朝日を見に行った。
ガンジス川から眺める景色は
すべて幻想的で特に朝日は
神々しさを感じた。
火葬場では死体が
ずっと焼かれている。
朝日に手を合わせ
体調の悪いじいちゃんが
元気になることを願った。
みんなでチャイを飲み
シヴァの寺院に行った。
シヴァの寺院の中も
人で溢れていた。
インドの人の信仰心の強さは
想像以上だった。
ホテルに戻り、
タクさんと朝食。
ゆっくりタクさんと
話したのも久しぶり。
ブログで出会い、
KAWASHIN個別CLUBの
立ち上げで3ヶ月一緒に働き、
ずっと繋がってきた
大切な仲間。
そんなタクさんの呼びかけで
参加したこの企画。
今までで一番、
不便で危険で刺激的な旅だった。
最後に3人でガンジス川に入り
それぞれが何かを願った・・・。
悪しきものがガンジス川に
すべて流れて行くようで
とても清々しい気持ちになった。
仕事もこれからうまくいく。
悩んでいることも解決に向かう。
じいちゃんとも会える。
すべてが良い方向に向かう。
目に見えないものにも
力はあると感じた。
バラナシ空港から
ニューデリー空港へ。
高岡くんの預けた荷物が
届かない。
最後までトラブル続きの
珍道中でした。
じいちゃんに会いに
一旦、日本に帰ります。
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帰国して1週間。
マレーシアに戻った。
じいちゃんにも会えた。
じいちゃんに聞いた。
『元気になったら何がしたい?』
じいちゃんは、
『仕事がしたい』
『まだまだ、おれにしかできないことがあるはず』
と答えた。
自分がなんて小さな事で、
悩んでいたんだろうって
恥ずかしくなった。
ガンジス川で沐浴してから、
とても気持ちがポジティブになった。
悪しきものをすべて
吸い取ってくれたのだろう。
インドは、
すぐに生きた場所ではないが、
5年後ぐらいにまた行ってみよう。
まだ、お腹の調子は悪い・・・