私もできるだけ『怒らない』けれど、『叱る』のです。
叱ります。
『怒らない』というのは、自分(親)の感情にまかせて理不尽に怒鳴ったり叩いたりしないということ。
子供が何をしても放置したり見て見ぬふりをしていいということではないと思っています。
でも、怒らない怒らないと言ったってそればかりではどうにもならないこともあります。
感情的になったって、なんだっていいからなりふり構わず子供を守ることも必要だし、それをしてあげられるのは親だけだと思うのです。
古いかもしれないけれど、人様に迷惑をかけるとか先生にたてつくとか、ダメなものはダメ!でもいいんじゃないかな。
私はいつも父親から容赦なくゲンコツを受けたし、学校の先生や部活の顧問からも鞭で叩かれたりしました。
いまの時代、それがいいとは言えないのでしょうが、それに変わるなら感情的に怒られることもきっと必要です。
それだけ悪いことをした、迷惑をかけたと自分で気づかないといけないのですから。
スーパーの外で電話をするなら一緒に連れて行ってあげて欲しい。
卵を割った話を聞いたなら本当か本人に確認したり理由を聴いたりしてあげてほしい。
なんなら感情的に怒ったっていいと思う。
きっとその方が、子供に伝わるんじゃないかな。
お母さんや子供を悪く言いたいのではなく、私があのとき、子供に叱る、お母さんにしっかり話をする、そいういことを出来なかったのがすごく悔やまれたので書きました。
親なのだから怒ったっていい、むしろ当然。
そして周りの人間が、ちゃんと一緒に親子を育てていくこと、最近少なくなっているような気がします。
私は義両親や商店街の人たちに支えられて、なんとか子育てをしています。
知らないことや間違っていることはちゃんと教えてもらって、恥ずかしながら親になってもまだまだ学んでいます。
あのお母さんにも、そういう存在が必要だったかもしれないと。
『放っておくなら怒ってやれ!』
こう言ってあげるべきだった。
そう、後悔をしています。
『怒らない子育て』と『叱らない子育て』は違います。
『叱る』は、労力を払ってその人を正しい方向へ導きたいという愛の表れ。
『叱る』ということは、『愛している』ということです。
育児だけではなく、人生において叱ってもらえるということはありがたいんですよね。
そして『怒る』もまた愛。
怒るのはその子のことをちゃんと『みている』ということ。
無関心、ネグレクトは『怒る』という感情さえ産まないと思うのです。
みていないと叱るどころか怒ってあげることさえできないのですから。
正直なところ、ふたり目が産まれてから私は子供によく怒っています。
未熟な親の言い訳かもしれないですがこれも、ないよりはずっと、子供に伝わると信じています。
まずは自分の子供をちゃんと『みる』ことが大事なのだと考えさせてもらえる出来事でした。
出典元:iinee-news.com