さて今日は晴れ
外に出るのが気持ちがいい
出社前に娘の庭で遊び元気をもらった
大河ドラマにて
龍馬伝にはまりその流れで平清盛を見ている(なんとか姫ってつくとなんだか見なくなる・・・)
まあ話のネタにならないかって観点で見ているので龍馬伝ほど真剣には見てないが・・・
龍馬伝にて
印象に残ったのが武市の切腹
腹を切り死を持って償う
振り下ろす刀を止めあえて苦しみを増す
死を良しとはまったく思わないがあんな人は今の日本にいるのだろうか・・
さて時代が変われば
平清盛にて
参照・・・
佐藤義清(のりきよ)23歳で出家して僧侶となり、後に「西行」となりました
例によって、同時代の人と比べると
西行(佐藤義清)1118~1190 享年73
平清盛 1118~1181 享年64
というわけで、じつに西行と平清盛は、同じ時代を
生きていたことになります。
西行は鳥羽法皇に北面武士として仕えましたが、
同じく清盛も北面武士となり、そこで二人の関係が…
ということを描いているのが、今回の大河ドラマの『平清盛』。
そもそも、なぜ、佐藤義清は出家したのか・・・
友人の死による無常観というのが定説と言えそうですが、
実際は、いやそうでなく、失恋だったーー
その相手は鳥羽法皇の中宮である待賢門院璋子(たまこ)
だった、という説が『平清盛』のなかでも描かれます。
佐藤清盛は待賢門院璋子とお恋に落ち責任をとって髷を切る
また
清盛の弟の家盛の死後、乳母父の維綱は訃報を聞いて駆けつけ、哀しみのあまりその場で髷を切り、出家した
武士が髷を切り出家
これまた死までにはいかないものの大きな決断なのでしょう
(仏教に詳しい方からするとまたとらえ方も違ってくるかもしれませんが・・・)
時代時代で責任の取り方というのは変化しているようです
もちろん現在でも立場によって違ってくるものでしょう
でも時代は変われども守るべきルールや決められた期限など
お互いが酌み交わしたものを守るという責任感が生じていて
その責任を果たそうという強い意志は変わりないと思います
生徒でいえば提出物や暗記そして塾則
学力を伸ばすだけでなく
KAWASHINは時間やルールが当たり前に守れる生徒に育てていきます
さあそろそろ研修じゃ!
生徒とスタッフと地域の幸せのために
今日もがんばろう![#IMAGE|S41#]
責任の取り方
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