ロバの目

ウッチーの
ロバの目
すばらしい経験を彼は大学の時にしたようです。
大学行くすばらしさを彼の文章から感じます。
僕に子供が産まれたら必ず大学には行かせます。
大人になったら経験できないことができるのが大学だと思います。
以下の文章は、彼のBLOGの記事のコピーです。
ちょっと長いですが、読んでみてください。
みなさんロバの目のお時間です。
どうですか?このコラムは?
このコラムはやはり受験勉強や普段の生活では
まったく役立たないことばかりです。
たしかに、役立たない。
しかし、知っていて欲しいのです。
これから、高校、大学、社会へと大いなる夢を羽ばたかせようと
今を生きる諸君たちへのメッセージです。
それは、私からのメッセージではありません。
アジアの同じ10代の子どもたちからのメッセージです。 
それでは、今回もアジアで必死に生きる子どもからのメッセージです。
「この世界にはなぜ貧しい人がいるのだろう」
それが私の大きな疑問だった。
大学生は4年間という「時間」を買っている特権階級だと私は思う。
大学生は研究者の卵である。
「好きなことをしなさい」
それが日本の大学の発する呪文だ。
遊ぶもよし。
サークル活動をするもよし。
恋愛をするもよし。
バイトをするもよし。
私はわがままな性格である。
それらは全て実行した。
だが忘れてはいけない。
大学は研究機関であることを。
教育を受けるだけの機関ではない。
大学では沢山の本を読んだ。
社会的に「偉い」という学者にも話を聞きにいった。
でも
それらでは、私の疑問を晴らすことはではなかった。
だから、私は自らの「足」で知ろうとした。
それが、全ての「旅」の始まりだった。
2度目のカンボジア
私は地雷の被害調査で訪れた。
被害者の社会復帰をサポートするのが目的である。
地雷の被害者は肉体的にも精神的にも
苦痛を強いられている。
義足や義手を作る十分な技術をこの国はまだ持っていない。
それに、義足を1足そろえると日本円で1万円以上はかかる。
カンボジア国民の年収の約半分だ。
個人で買える代物ではない。
2003年、地雷被害は減少傾向にあると思われていた。
しかし、この調査でその後800名以上の人が地雷・不発弾の被害に遭っている。
2005年の被害者数862人で考えると
月に約70人
一日に約2人が地雷や不発弾の被害にあっていると言える。
この惨劇は現在も続いている。
地雷の恐ろしさは、その殺傷能力でない。
殺傷能力は極めて低い。
安価で数多く使われる小型の地雷は、敵兵を殺すことが目的ではない。
敵兵に重傷を負わせることにより戦闘不能にすることを目的としている。
敵兵を1人戦死させれば、それは敵の兵力を1減らすことになる。
しかし、敵兵1名に重傷を負わせれば
敵は重傷者を後送する兵・手当てする兵を確保せねばならず、前線の敵兵力を2名以上減らすことができる。
しかも、地雷を駆除する方法は1つしかない。
それは、爆破させることだ。
一度埋めてしまえば、どこにあるかわからない。
戦争が終わっても、被害が増えるのはそのためだ。
私は調査のために「バッタンバン」という村にやってきた。
ここはカンボジアが内戦状態だった90年代に多くの地雷が埋められた激戦地だ。
今でも、村のあちらこちらに地雷警戒の立て札がある。
しかし、戦争は終わったのだ。
人々は生きるために田をおこし、種をまき、稲を育てなくてはならない。
たとえ、その田が地雷原の真っ直中でも。
地雷原で無邪気に走り回る子どもたち。
地雷原に立つと激震が走るほどの恐怖を私は感じた。
足が竦んで、前に足を運べない。
怖い。
それしか言いようがない。
そんな私を見て一人の少女が笑った。
真っ白な歯をキラっとさせ笑っていた。
恥かしさ、憎たらしさ、可笑しさ。
恐る恐る私は、少女に近づいた。
あともう少しという所で、彼女は私の手を引っ張った。
「あっ!!!!!」
私の驚きようが可笑しいのか、彼女は声を出して笑った。
太陽の恵みを受けた小麦色の肌。
小顔で白い歯とパッチリしは目がとても印象的な少女。
たぶん、私が中学生くらいなら間違いなく一目惚れしていた。
やはり彼女は村でもとびっきりの人気者。
年頃の男の子が髪をポマードで整え、盛んにアプローチしていた。
彼女は男の子を恥ずかしそうに追い払っていた。
「あなたは日本人ですか」
どこからの声だろうか。
私は驚いた。
声の主はその少女だった。
彼女は近くのNGOのボランティアスタッフから日本語と英語を習っていたのだ。
文字は書けないが、会話なら出来るようだ。
女の子の名前はシーウォン。
年齢は17歳
「ウォ」の発音が私には難しく、私が名前を呼んだら相当笑っていた。
彼女は外国の話をすごく聞きたがっていた。
やはり、日本人は皆「日本刀」を持つ武士なんだと思っていたようだ。
日本の中学生が携帯電話などを持っていると話したら、目をひんむくほど驚いていた。
カンボジアでは役人以外で携帯電話を持つ人がいないらしい。
シーウォンは日本の中学生を国家の役人だと思いこんだらしい。
この事情は後で説明した。
彼女との話は楽しかった。
お陰で少しクメール語(カンボジア語)が話せるようになった。
2週間の間、ほぼ毎日彼女と話していた。
私が日本に帰国する2日前
一緒に現地で調査を行っていた事務所に一本の電話が届いた。
シーウォンが地雷の被害に遭ったのだ。
私は急いで事務所のジープを走らせた。
そこはあの地雷原。
背筋が凍り付く思いだった。
しかし、彼女が心配で仕方ない。
彼女は幸い命に別状はない。
しかししの代償は大きかった。
彼女は両足を失った。
「心配しないで」
苦し紛れの笑顔での言葉が
深く私の心をえぐった。
彼女には身よりがない。
両親と弟は内戦で殺された。
親戚もなく頼る相手もいない。
彼女は村の工場で働いていたが、この怪我では働けない。
医療費なんて払えない。
もちろん義足など高すぎて買えない。
私は地雷の調査現地事務所に掛け合い
彼女の面倒をみてくれるよう頼んだが無理だった。
幸い、村で商店を経営する女性が彼女の面倒を見てくれることとなった。
その女性は内戦で、夫と子どもを亡くしていた。
彼女の家とは真向かいの近所同士。
シーウォンも同意し、その女性に引き取られることになった。
帰国する前日、私は街の両替商を訪ねた。
手持ちの米ドルを現地通貨リエルに交換するためだ。
全部で400万リエル。
日本円にして1000円
交換した足でバッタンバンの商店にいった。
シーウォンに会うためだ。
彼女に明日帰国することを告げ、彼女を引き取った女性にお金を預けた。
女性は私の手を強く握り、大きくうなずいた。
1年後、私は再びバッタンバンを訪れた。
バッタンバンの地雷原駆除は思いの外進行が早く、去年の3分の1の面積にまで減少していた。
シーウォンは元気だった。
義足はまだ買えないが、店のレジを任されていた。
看板娘でお客の大半は若い男の子だった。
私が再び来たことを喜んでくれた。
しかし、やはりショックなのだ。
「無くなってしまったものはしょうがない、時間を過去に戻せる時計なんてないもね」
「でも、未来を今より良くすることはできる」
「だから私負けないの。辛いことは山ほど経験した。」
「だから負けられないの。負けたくないの。」
彼女は強かった。
内戦を生き抜き
両足を失っても、必死に生きる姿勢。
私には到底真似出来ない。
辛いことを山ほど経験し、それでも未来を信じれる強さ。
その時のシーウォンの顔を私は一生忘れない。
ここまで強く未来を信じれるだろうか。
いや、最後まで信じた者が救われる。
勉強だって、部活だってそうだ。
未来を変えたい、良くしたいと強く願う心が、未来を切り開く。
受験生の諸君。
押しつぶされそうなプレッシャーの最中だと思う。
しかし、負けないで欲しい。
未来を強く信じて欲しい。
それが自分を必ず救うから!

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