”ハチ公”と言えば、この像を、
思い浮かべる人が多いと思います。

出典元:gotokyo.org/jp

そうです。
東京の渋谷駅に設置され、待ち合わせ
によく使われる像ですね。

ハチ公像は、秋田県などにもいくつか
あるようですが、

その中でも、とっても幸せに満ちた
ように感じれる像がネットで話題に
なっているので紹介します。
 

その前に、ちょっと”ハチ”のことを
説明します。

忠犬ハチ公とは

忠犬ハチ公の名で知られる”ハチ”は、
秋田県の大舘市で生まれた秋田犬です。

当時、東京帝国大学教授であった
上野英三郎博士が、秋田犬の子どもが
飼いたいという希望で、

生まれて間もない秋田犬の子犬は、
この大舘市から米俵に包まれて、

上野博士の居る上野駅まで20時間の
道のりをかけて、列車に揺られて
来たそうです。

この「米俵」に包まれての表現に
驚く方がいますが、当然普通の米俵
ではなく、わらで編んだ米俵型の
かごだったわけです。

わらは通気性に優れており、多少の
おしっこも吸収してしまうので、
犬かごには最適のものだったようです。

上野博士の屋敷には、ハチが来る前
からジョンとエスという2匹の成犬が
いたそうです。

まだ幼かったハチはポインター犬の
ジョンに、大層可愛がられていたそう
で、3匹とも仲がとても良かったそうです。

上野博士が出かけるときや、出迎え
にもこの3匹で仲良く見送りと
渋谷駅まで出迎えにきていたそうです。

しかし、ハチを飼いはじめて1年位
で、上野博士は脳溢血という病に
おかされて急死してしまいます。

主人が亡くなり、犬たちはあちこちへ
と貰われて行く羽目になりますが、

ハチはやんちゃな性格だったようで、
噛みついたりはしませんが、
じゃれて飛びかかったり、
田畑で遊んで荒らしていたようです。

大きな秋田犬ですので、かなりの
力強さに引き取った飼い主たちは、
飼いきれなくなったようです。

何度か飼い主を代えると、最終的には
上野博士邸の出入り植木職人で、
当時からハチを可愛がっていた
小林さんの元へ渡ります。

この頃からハチは頻繁に渋谷駅へ
向かう様になったそうです。

ハチは、雨の日も風の日も、毎日毎日
、渋谷駅前で先生が帰って来られるの
を待ち続けていました。

こうして、毎日のように渋谷駅に
向かっていたハチは、心無い人達の
虐待にも会ったのだそうで、

売店の者や駅員に邪魔者扱いされて
蹴られたり、顔にマジックで
落書きされる事は日常茶飯事でした。

人懐っこく人に危害を与えないハチは
、格好のいじめの標的とされたのです。

忠犬ハチ公が映画になる

”斎藤弘吉”さんは日本犬の研究者で、
日本各地に現存する日本犬の血を
絶やさない運動を行っていました。

秋田犬の実情を調べて行くうちに
ハチの事を知り、ハチがいじめの被害
を受けている事に心を痛めた斎藤さん
は、これを不憫に思い新聞社に
投稿しました。

その記事は、「いとしや老犬物語」と
いう記事で、ハチの主人に忠誠する姿
も書いていました。


出典元:農業農村工学会と忠犬ハチ公

新聞のおかげで全国に認知されるよう
になると、ハチはいじめられる事は
無くなり、

それまでいじめてきた人々も、ハチが
毎日この上野へ来る理由を知り、

逆に良く可愛がるようになり、
誰しもに愛される犬になりました。

一躍有名になった「忠犬ハチ公」を
讃える銅像が渋谷駅前に作られました。

また、「ハチ公の夕べ」も催されました。

大変お世話になった吉川渋谷駅駅長と
いっしょに、ハチもステージに
あがりました。

いっぱいの観客席から大喝采を浴びた
そうです。

ハチが実際に出演している映画も
現存しています。

ハチの写真も駅前で売られる程の
人気者になりましたが、老犬であった
ハチにもその時期が訪れます。

主を無くして10年後にその短い生涯を
閉じる事になります。

大々的にハチの葬儀もとり行われ、
参列者は長蛇の列だったそうです。

 

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